山岳遭難と装備・用具についてvol.1 プロローグ

釣りと山岳遭難って関係ないのでは?とお思いでしょうが、実は釣り東北創刊号に「山岳遭難と装備・用具について」というコラムが掲載されておりました。こと渓流釣りなどではそのようなリスクも含まれているために掲載に至ったはずです。そして2024年、40年前の当時とはアウトドアを取り巻く状況も変わりました。そこで今回、釣り東北Web発足に当たり、現代の「山岳遭難と装備・用具について」というリバイバルタイトルのもと連載スタートと相成りました。表題で山岳とありますが、当連載では山岳だけでなく、渓流や海・磯・湖沼などフィールドのアクシデントに対しどう対応していけるかを紹介していきたいと思います。

創刊号に掲載されていた山岳遭難のコラム

自然の脅威を知る

始めに令和6年1月1日に発生した能登半島地震にて被災され、今なお避難、不便な生活を余儀なくされる皆様に心からお見舞い申し上げます。

連載第1回目は地震・自然の脅威について。奇しくも『釣り東北&新潟』の能登半島地震と地域の括りで考えれば該当しない…否!気持ちは一つです。そして、能登とのキーとなるのが「日本海」。

遡れば今から丁度60年前の1964年、日本海沿岸(粟島沖南方)を震源とし、新潟市から隣は山形県酒田市までを激震域とし、秋田・福島・茨城・栃木・長野・石川・群馬まで強い揺れをもたらしました。この震災時は大規模な液状化現象での大型建築物が倒壊する、石油コンビナート大火災のビジュアルばかりが注目されていましたが、実は津波警報が発令され、事実、大きな津波が到達し、新潟県沿岸では被害が発生しました。

そして1983年、秋田県沖を震源とする日本海中部地震。こちらは津波被害で尊い命が多く奪われた震災でした。当時、中学生であった私は地震が起き、まだ騒然となっている校内で廊下を同級生と歩いていたら理科教師が「おう、おまえら、屋上来てみろ」と呼び止めたのでついていったら、教師が水平線を指さし「ほら、あれ津波だ」と。その指先の水平線はいつも見るシャープな空と海の境目でない輪郭が淡く白く太いラインになっており、その時は別段、イメージする津波は怒涛の波の動き。正直、感想は「ふーん」という感じでしたが、帰宅してからブラウン管越しに見た津波の恐ろしい様相に、あの景色は遠巻きでの確認であったゆえ、沿岸部ではこのような凄惨な状況だったのか…と恐れ慄いたことを今でも鮮明に覚えています。それ以降、日本は様々な震災に見舞われたことは若い方々にも記憶にあることと思います。阪神淡路大震災、北海道南西沖地震、新潟中越地震、岩手宮城内陸地震…など。

磯釣りとして賑わう男鹿・鵜ノ崎海岸を始め、日本海沿岸随所(西津軽の千畳敷海岸、象潟の九十九島)で見られる隆起などの地殻変動の痕跡は雄弁にその大地の鳴動(パワー)を物語っている

東日本大震災の発生

そして2011年3月11日、あの東日本大震災が発生します。この震災で私は間接的ながらも印象深いできごとが…。これを見ていて当事者である方からしましたら何を生ぬるいことを…とお思いでしょうが何卒、ご容赦を。

その2日前の3月9日。岩手県盛岡市に所用があり国道4号線を盛岡バイパス・NHK前の交差点、信号で停まっていた時です。明確に覚えております。雲一つない青空、最初は車が追突された?と思わんばかりの車の揺れに驚いたと同時に眼前、道路がまさに液体?生き物?のように波打ち、停まっている車も併せて上下に揺れ、信号機や電柱も激しく揺れました。この時はやはり、正直、単に凄い地震だった…という印象だけ。帰路に就くだけでしたので道中、ラジオを聞きながら、被害はそうもないみたい、見える景色でも何も異常はなく、仙岩峠も難なく通れました。

その2日後…11日。運命のあの日が襲うのです。この時、筆者は秋田市内で遭遇したのですが、停電に見舞われ、当時はネット社会ではありましたが、当然、今現在のようなスマホ全盛でなくガラケーが殆ど。SNSや配信も脆弱。情報を得ようにもラジオ音源のみ。映像(ビジュアル)では断片的にしか情報が入ってこない。こちらの電気が復旧しテレビを見ることができたタイミングで、あの福島原発の建屋爆発というショックな光景を目にしました。

太平洋沿岸域、甚大…そんな表現でも生半可である渦中で今日まで暮らしてきた方々に、私のような上澄みだけ述べるのは本当に憚ります。現地に直接出向けず、雫石の知人を経由してもらい、三陸まで幾度も少なからずでありますが秋田で入手できた僅かな灯油・軽油、そして食料をピストンで搬送させて頂きました。直後渦中、4回目の搬送では自分も片道切符よろしく空に近い残量で渡してから田沢湖町でついにガス欠。しかし、そんな自分を見かねて道中の寒村地域、自らの移動でも大切、いや命の綱であろうガソリンを分けて下さったお店の方には今でも感謝に感謝しきれない思いです。

地震大国に生きるということ

その後も、日本は熊本地震、北海道胆振東部地震、新潟・山形県沖地震など大きな震災に見舞われました。日本は皆さん承知の通り、地震大国と言われます。それゆえに古来から日本人はこの国土の自然や地質に合わせた手法や様式を暮らしに巧みに取り入れ、今現在まで途切れることなくその歴史(文明・文化)を継続してこれました。その暮らしを基盤とし、人は生きていく糧を求め、水辺に繰り出し漁法を確立。それは今では、就労のみならずレジャーとして私たちアングラ―に恩恵までその一片の恩恵を与えてくれているのも事実です。

自然に対し、人はその時の思い(都合)で、奇麗な景色に出逢えれば褒め称え、風雨に晒されれば訝かったりと。そこには自然は何も意図も意思も思惑など一切介在してないのです。なので当然ですが、慈悲も無慈悲も関係なく、ただ当たり前に、人でいうなら息をするかの如く、時には地を揺らし、風を荒ぶらせたり、大雨を落としたり…。その世界の中で私たち人間は虫から魚、獣、鳥、植物など他の生き物と同じく蠢いているだけのこと。この世界の支配者でなく、同じ生ける者~コントロールなんてできないと思えば、自然災害に対して、もっと備える、立ち向かえる心構えや気付きが深くなるのでは無いでしょうか…。

連載スタートから釣りから脱線しまして恐縮ながらも、これからの時代、私たちがなし崩してしまった自然、これはコントロールではありません。暴走です。そんな要因も踏まえた渦中、フィールドでどう備えたり対処していくか? 連載にあたり身が引き絞まる思いです。

陸全高田…まだ傷癒えぬ日本に、新たな試練が降り注いでしまったが、これも皆の力を一丸にして立ち向かっていきたい…

WRITER

佐藤 浩二

日本山岳ガイド協会認定 登山ガイド[ステージⅡ]

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登山ガイドの傍ら渓流釣ガイドを展開する。北東北の民俗学、風習にも造詣が深い。

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