解説/佐藤浩二
昨年は東北地方、新潟のみならず、日本の広範囲で報道に挙げられた「熊(ヒグマ・ツキノワグマ)」による人身や農作物被害。このニュースはまだ記憶に新しいことであろう。しかし、そのニュースが冷めやらぬうちに年が空けて早々に、各地でクマの目撃目立つ。大きな被害はないにせよ建物内に侵入など、もう春を待たぬ内に活動の兆しが目立ってきている。今回はフィールドで遭遇し得る危険生物の前編として大型動物に関しての傾向と対策に触れてみたい。
ツキノワグマ
今回、このテーマに執筆するに当たり、北海道に棲息するヒグマに関して筆者は遭遇したことも回避に当たる行動などの経験が皆無にてここには記すことができないことを断っておく。サイズ、生態の細部などツキノワグマと似る面もあるだろうが、非なる面もあることも事実(話に聞く仕留めた獲物への飽くなき執着、獲物を保存する知能(土饅頭や沢水に漬けて腐敗の促進を防ごうとするという話もあるとか!)。
まず最初にツキノワグマへの偏見を払拭してほしいのが、彼らは好んで肉食に関する欲求が大半を占めているわけではないということを。私が過去に彼らを見掛けたり、痕跡(糞、食事の跡)を見る限り、植物(ネマガリタケ、木の芽、木の実、花など)を摂取しているケースが多く、動物性タンパク質の摂取は朽ちた木の中のアリ(白アリも含む)や何らかの幼虫(芋虫系)、ハチなどの昆虫、そして最後に動物(哺乳類)という具合だろうか。
この最後者の哺乳類の痕跡は私は山を歩いて今日まで一度も見掛けたことがない。それはエサを摂取する場合、何よりも「労せずエサ(エネルギー)を補給する」ことが彼らにとって生きる上で重要なことであり、過剰に運動(獲物を追いかけたりなどで襲う)せず、摂取できる高タンパク・高カロリーの食事といえば、動くことが殆どない植物や昆虫に関わるものであるからだ。
また驚くべきは、上の糞の写真は舗装道路であること。もう人間の生活圏で堂々と活動していることを物語っている。ちなみに今回の原稿で筆者はツキノワグマ自体を撮影したことはないので掲載は当然できない。遭遇こそ数あれどカメラを構える間など当然なく、また撮影をするのは専門に熟知し待ち受け・追いかけられるその世界のプロの領域である。
エサとする獲物を疲労困憊になり追いかけた挙句、もし狩ることができなかったら…それは彼らにとって致命的なダメージに繋がる。さらに抵抗されてケガなどをしたらなおさらだ。危険な猛獣(飼育する上での扱いの名称は特定動物)であることには変わりないのだが、距離を保ち彼らを観察してみると、好んでこちらには向かおうとせず、何か食べるものを探すのか?ノソノソと歩いていたり、時にはこちらの存在に気付き一目散で茂みの奥へと逃げ隠れしたり。決して常に好戦的な行動をする生物でないと言える側面を持つ。
では、なぜクマは人を襲うのか? 特殊な例を除きクマに襲われるケースは、山中で突発的に鉢合わせ(アクシデント的)してしまい、熊が驚き(恐怖し)自己防衛のために外敵である人間に攻撃をするというケースであることを改めて知ってほしい。それこそが基本であり、最もなる防衛策に繋がる真髄である。
やはり鈴、そして笛の携帯
なにはともあれ、やはりは一番の対応策は自分の存在を相手に知らせること。昔から今も変わらず、これに尽きると思う。 鈴といってもプレスした薄い鉄板の鈴ではなく、鋳造された鉄の澄み渡るように音が通る(如いては音が大きい)ものがベターである。よくラジオやスマホなどを鳴らしている方も見受けられるが、音の抑揚が乏しく、ないよりはマシではあろうが効果には今一つという感も否めない。
笛も併せて活用したいところである。道などのカーブの先、見えない所に差し掛かる手前でひと吹き。とにもかくにも自分の存在を相手に知らせて退いてもらう。これこそがクマに逢わないようにするための野外の鉄則だろう。
実は意外かもそれないが、最も効果があるのが「人間の声」である。話声、笑声、歌を歌いながら。どんな形でもいい。特に単独ではなく複数人での野外活動であるならば進んで話をしよう。 では、鈴もガラガラと数をぶら下げて、話声も大音量となると一考したいところではある。音を発するも、野外での危険の¨音¨のサイン(それこそ動物やハチの威嚇音、遠雷、山鳴り、水のウネリなど)を聞き逃してしまう懸念もあるからだ。音に頼るのは主軸にするのではなく、やはりは野外で行動している意識を高めて辺りを注意する感覚を常に研ぎ澄ませておくことが大切ではないだろか。
いよいよ最終手段
これに関しては実は筆者的には書くことを憚る心境もあるが意を決してここに記載する…。まず、よく言われるのは、遭遇したら決して背を向けず走ったりしないということが鉄則である。視線を逸らさずゆっくり後ずさりするのが基本であるが、過去、筆者は視線を逸らさずホルスターに手を掛け、クマに向けてではなく、足元~地面に少量撃退スプレーを吹くことで回避をしてきた。鼻先めがけて射出せずとも、微々の噴霧のその刺激臭で逃げてくれた(運がいいとも捉える)。
【クマ撃退スプレー】
このアイテムはすぐ近い将来、社会問題にもなりかねないと危惧している。事実、昨年暮に東海道新幹線内で登山者が誤って射出させてしまい過失傷害の罪に問われた事件があった。このアイテムは小さな過ちで多大な被害をもたらすガスの凶器の側面を持つことを努々忘れてはいけない。
よくホルスターに差しトリガーをロックしていても、何も施さず無造作に車内に置いていたりするケースを見掛けるし、部屋にも置いていたりと。スプレーを持っていてこの記事を読んでいる方に聞きます。普段、使わない時はどう保管してますでしょうか? 高温、もしくは何らかのアクシデントで樹脂のトリガー部が破損、他の要因で中身が漏れた場合…車だとしたら、もういかなる洗浄をしようがその劇的な刺激物質の除去は完全に無理に近い状況かと思う。それが室内だとしたら…家財や衣類に…。さらには先で触れた不特定多数の人が往来する公共の場であったなら…。
最近はメディアでもクマ被害に関して撃退スプレーの携行を促すような報道をしているが、まず入手する前にこのアイテムは重篤な殺傷能力はないにしても凶器に成り得るアイテム(ゆえに猛獣を退ける能力があるのです!)であることを念頭にして手に、そして携えてほしい。
そして、入手=完全なるクマ被害を受けることがないことを約束されたものでもない。当然、使い方など解説書の理解を要し、また今では地域でのクマ対策における講習・公聴会などを催しているケースも多い。その様な場を活用し、クマに、そして当アイテムに関しての理解を深めてから携行に当たってほしい。
スプレー保管方法
【ロッドやスティック】
本稿のステージは「釣り」である。釣りのシーンでクマに出くわした場合、手に持っているロッド、この細く頼りなさそうなアイテムも背に腹が替えられない状況では、ないよりはまだマシであろう。
スプレーも効かねば、また出す間もなく近接されてしまったら…。よく身を屈め、丸くなり首筋、顔面を保護するという防御姿勢の手法をメディアでは推奨しているが、それは丸腰や最悪の最終の局面の場合である。まだ距離がある場合(※向こうが気付いてない場合は刺激せず静かに落ち着いてやり過ごすこと!大声を出すなど刺激しないように。また向こうが気付いてなくとも、まずはスプレーを持っているなら万が一に備え準備)、まずは手にしている長いもの(ロッド、落ちている太目の枝、ストックなど)、また勇気はいるがブッシュを払うために腰に鉈や山刀があるのなら、まずは徹底的に抵抗しかない。
クマの鼻先を鞭のように振りぶつ、あるいは眼球に向けて突く、いや正直、冷静は不可能でそれどころではないであろう。だとしたらもう構わずまずは抵抗する。それでも突進を阻めず接触を余儀なくされてしまった時に初めて防御姿勢に移る。また、殆どあり得ないことだが、傘を持っているのなら突く前に傘を拡げたり畳んだりでバサバサと動かし威嚇するという話も聞いたことがある…。
ちなみに山中でバクチクを鳴らしている光景や音を耳にするが、まず殆ど効果はないに等しいであろう。むしろ山火事の危険に成り得る。それなら常にホイッスルを吹く、また筆者は釣り場やフィールドで車から降り移動する際に、車のクラクションを数十秒で何回か鳴らしていることを書き加えておく。
これからのクマとの付き合い方
アーバンベアという言葉が生れた背景に、人間の棲息圏で生れ育ってきた個体が多くなっていることがある。要はそんな環境下であるがゆえに人間を恐れなくなってしまった精神(習性)が構築されてしまっているのである。彼らは非常に頭が良い動物である。学習能力に長け、野生としての洞察眼も優れているので即座に対峙する生命が自分より劣るか否かを分析できるからこそ、そして食糧難の季節もあれば、甘美な人間界に溢れる味覚をしめて食欲の欲求に抗えず、そうした衝動で街に我々に近付いてきている側面もある。
大袈裟ではなく、筆者は過去のアラスカ行や北海道行時と同様、今では野外での食料を携行の際は密閉ジップロックを2重にしてパッキングし匂いを漏らさないように努めている。もうそんな局面まで本州も来ていると、年々、フィールドを歩き痛感している。
けっしてクマは悪ではない。むしろ大切な存在、自然での隣人である。「共生できれば…」それは完全に不可能である。共生ということは対等の意味であり我々も襲われても仕方なし・然るべきことである。私には無理である。完全分離こそお互いの幸せのためではないだろうか? そのためにはまず相手を知り・理解し、そして遭遇しないために徹底する意識を持つ。これが一番の対策である。
今年もいよいよグリーンシーズンが始まる。それはそこに棲む生命達が躍動するシーズンでもある。身を、気持ちを引き締めつつ楽しみたいものである。