筆者/佐藤浩二
はじめに…。デジタルが跋扈(ばっこ)するこの世の中であっても、それらの世界は実はほんの僅かであり、それらに包まれている僅かな世界の外は、そのデジタルで検索さえすれば一応それらしき答えは検索できるが、真実は曖昧な森羅万象に支配されている世界なのである。その水面の底に、森の奥に、波音しかしない夜闇の海原に…蠢いている‶それら‶の声や姿を感じる時はきっとすぐにあると思います…。釣り東北ウェブ夏休み特別企画として、釣り場・フィールドで起こる、心霊・不思議な怪談を全6回でお届けしたいと思います。
先行者を追って
よく釣りや登山で霧の中で人影を見たという話は定番というか後を絶たない。この話もその類である。その山がある麓の地域に仕事で出向していた当時に所長から聞いた、氏が若かりし頃に体験したという話。
その山は「山塊」という形容詞で呼ばれていた山系であり、原生的なブナ林、そして標高を稼ぐと高山植物群、数多の沢と幾ばくかの鉱床も有する秋田県央部に広大ではあるがひっそりとした佇まいを持っている不思議な山系である。当時はあまりこの山を訪れる登山者は玄人向け宜しくごく限られており、山頂から先にある仏具の名を冠した森(厳密には尾根道)となると、訪れる人は更に乏しくなる。
その森に至れば一端の山男とも呼ばれたか否かは定かではないが、地元で男らしさの尺度で言えば、向かいの温泉地を山麓に構える玉川や八幡平山系を歩くよりは自慢できると、同級生と共に3人でそこを目指したそうだ。
季節は晩夏。天気は雨が落ちる心配はないが、山は霧に覆われていた。登山口界隈で鳴いていたセミも道を登っていくと涼しさを越し肌寒くなってきて、その鳴き声も段々と聞えなくなり、終いには辺りは濃い霧に包まれ、展望地となる箇所では湖や向こうの山並など全く望めないどころか、行く先の道すら見えないほど霧は一層濃くなってきたそうである。
まずはこのルート上の主要座の頂に至り、ここから先こそ確心であるその森(ルート)へ向かうかどうか?3人で話をするが、行けるところまで行こうということになった。
道は徐々に鬱蒼とした灌木、辛うじてある踏み跡を辿りながら、時間が経ってもなかなか前に進まない。疲弊しながら3人は歩みを止めては顔を見合わせることが多くなってきたという。
所長は次に歩みを止めたら引き返さないか?と言おうと思っていた時に、霧にうっすらと見える藪のシルエットがユサユサと揺れたかと思うと、ガサガサという音と共に、20m程前に藪を漕ぎながら進む先行者の背中らしき姿が見えたという。
大き目のキスリングがゆらゆらと揺れながら、リズムが良いというか何も躊躇なく痩せ尾根や時折覆い被さる藪を掻き分け進んでいくのである。3人は先行者が居るという安堵が芽生えたらしく所長も引き返そうという言葉を飲み込んで、その背中を追った。そのうち、誰ともなく会話の声が大きくなっていったのは滑稽だったと振り返る。
先行者の耳に我々の存在を知らしめようと、歩を止めて追い付けばという心境であったのには訳があった。その先行者は歩みを緩めることなく進んでいくのだが、切れ落ちた尾根や下りでは慎重になったりで一向にその者との差が縮まらないのである。それどころか、我々の声は届いているはず。であれば、きっと気付いて歩を止めるか振り返っても良いのではないか?その先行者の姿が揺れ、また藪に至ると音が何一つ乱れることなく進む様相に3人は徐々に不安と言うか気味が悪くなってきたという。
「何か変だ?」と、先頭を歩いていた友人が、ついに「あのー!」と声を掛けたのである。その瞬間、藪の掻き分ける音しかしなかった先のほうから「チリリン…チリリン…」と鈴が数回鳴る音が聞こえたという。同時に歩む(藪が掻き分けられる)音が止まった。3人は急いでその先行者が居るであろう所まで来たのだが、そこに辿りつき絶句する。
誰も居ないのである。というか、その先からこの森の最も難所となる崖と岩尾根に至るのであるが、下は濃い霧で見えない。その者が下っているのであれば、何かしら音はするだろうし…。3人青ざめた顔を見合わせて、これ以上進むのは止そうというのは眼で判ったという。
「行く時は藪を漕ぎたくないものだから先に行きたがらなかったけど、返りは一番後ろになると気味悪いものだからこぞって先に行きたがりながら降りたよなぁ」と。やはり後になってあの先行者はこの世の者でなかったと思ったという。「よくよく考えたらあれほどのテンポで歩いていたのに鈴が全く鳴ってなかったのものなぁ」。この森の深さは計り知れない深さがあるのを聞いていて改めて実感した。