筆者/佐藤浩二
はじめに…。デジタルが跋扈(ばっこ)するこの世の中であっても、それらの世界は実はほんの僅かであり、それらに包まれている僅かな世界の外は、そのデジタルで検索さえすれば一応それらしき答えは検索できるが、真実は曖昧な森羅万象に支配されている世界なのである。その水面の底に、森の奥に、波音しかしない夜闇の海原に…蠢いている‶それら‶の声や姿を感じる時はきっとすぐにあると思います…。釣り東北ウェブ夏休み特別企画として、釣り場・フィールドで起こる、心霊・不思議な怪談を全6回でお届けしたいと思います。
釣具店の中にて…
なにも釣りにまつわる不思議な話は釣り場だけではない。彼らは日常の中にも隣り合わせにいることを感じさせられることも…。これはとある釣具店の店主から聞いた話だ。
夕焼けが奇麗な時間、その店に来た1人の男。明朝、地磯で釣りをする前にエサと地元の情報を聞くのを兼ねて訪れたその人はひと懐っこい笑顔に口調。店主も言葉の雰囲気からここら界隈の人でないと思い話を聞くと、まとまった休みが取れたため、車で北上しながら釣り旅を楽しんでいるとのこと。
気付けばお互い椅子に座り茶を飲みながら東西の釣り談義に。店に来た他の常連も巻き込んでこれは釣り好きの性分なのだろう、意気投合するには釣り好き同士、時間はかからなかった。常連の中には彼の人柄に誘われてうっかりと秘密のポイントまで口を滑らし苦笑いする者も。「また、来ますから」と言い、その男は店を後にした。
窓を見るとさっきまでの夕焼けの景色はすっかり夜に。常連の1人が「あれ、さっきの人、タバコを忘れてら」と。テーブルの上にタバコと使い込まれてはいるが細身の美しい螺鈿が施されたガスライター。意気投合したとはいえど別段、名前や連絡先を交わしたわけでもなく、この時はまだSNSはおろか携帯電話もない時代。「明日は●●岩で竿を出すようだから忘れ物に気付いたら店に来るだろう」と思いその日は店を閉めた。
翌日、もしかして男が忘れ物を取りに来るだろうと、それよりも良い釣りはできただろうか? とも話を聞きたいと思い店を遅くまで開けてはいたが男は現れず。結局はタバコとライターは持ち主が迎えにこないまま店のカウンターの引き出しの中に。
そうなって数週間が過ぎたある日から店の中で不思議なことが起きるようになった。客がいない店、陳列棚を壁として、裏側に誰かが歩く足音がする。「あれ?」と思い店主が棚の後に回ってみるが誰も居ない。テーブルに積み重ねられていたカタログが突然崩れたり、戸も開かないのに呼び鈴が鳴るのは茶飯事。店主だけでもなく油を売りにくる常連客の間でも「あれ?店に入ったら何か気配がするような」という声。
おいおい止めてくれよと言えど、本当に「何か」が店の中に棲んでいる感じがするのは確かなのは否めない。仕舞いにはカウンターの引き戸が少し開いていた日には泥棒かと思えどレジには何ら手が付けられた跡も無ければ引き出しの中も整然としている…。
そんな不思議なことが続いたある日、店に1人の女性が訪ねてきた。釣りとは縁がなさそうな雰囲気の佇まいから、いつものように何かのセールスだろうと訝しげに対応すると、どことなく聞いたことのある口調だ。女性は「こちらに細くて貝殻で模様が施されたライターを預かってはおりませんでしょうか?」。その言葉を聞いた瞬間、店主は「あります。ありますとも」と、カウンターからタバコと件のライターを取り出し差し出すと、その女性はその場に伏せ込むように泣き崩れた。その姿を見て店主はあの男に何かがあったのだろうというのは容易に察することができた。落ち着きを取り戻した女性、聞けばやはりあの男の妻であった。
話はさらに続き、休暇の旅先、交通事故で亡くなったとのこと。この店を発って5日後、隣県での出来事である。旅先で車、その中に探していたライターはなく、これは娘からプレゼントされて大切にしていたものだとのこと。葬儀を済ませてから夢の中に出てはライターがないライターがないと訴え続け、最後に夢枕に出てきたのが、この店が鮮明に妻の夢に現れたそうである。店の中に居たのはあの男だったのか。大切なものはあるべき所に戻すことができて良かったという安堵もだが、もうこれで店の中を彷徨うこともないだろうという安堵もあったとか。