本誌連載「Trout Lure Fishing 4seasons」筆者・佐藤浩二氏による自然にまつわる不思議・怪談。
神か?怪(もののけ)か?
山で遭難し生還できた人は、その時間の中でどんな風景を見て何を思うだろうか? 数多の生還劇を綴った書籍、再現したテレビ番組では語られることがない不思議な話を聞いたのは15年も以前になる。当時、入院していた義母から聞いた話である。
実は義母が体験したのではない。入院していた義母の病室、隣のベットに入ってきた60代の女性(Jさん)はその日のうちに院内の中では知られる存在の入院患者であった。それは直ぐ義母の耳にも入った。「あのJさん、ほら先日、テレビや新聞でニュースになった◯◯町で山菜採りをしていて遭難した人なんですって」。3日前に山から帰らず捜索願いが出て今朝、無事、救助されたというJさん。入院して当初は警察や消防の署員が訪れては調書を取っていたり、入れ替わり立ち替わりで家族や縁者であろうか?見舞う人で賑わっていたのだが、2日もすれば病室はいつもの安穏な空間に。
病室は4人部屋であるが入っているのは3人。そのうち1人はもう高齢の方で1日中、寝て入るというか会話がままならないものだから、義母もJさんが落ち着いた頃だろうと、女2人にもなればだし、そこはさすが田舎である。お互い打ち解け直ぐに話は尽きることもなくなる。
しかし最初はどう触れれば良いものだろうか、何せ相手は遭難して一命を取り留めた者である。一応、丹念に言葉を選びながらも最初は遭難の話こそしたが後は各々の暮らしや家族、畑やら地域のこと、テレビを見てればワイドショーの話の日が続いたそうだ。しかしそのJさん、3日もすれば体調も戻り、翌日には退院できるということになり、義母も良かったねぇと話ているうちに、表情が神妙になり、最後に聞いてほしいことがあると切り出した。何を改まって…と返すと、自分の近親者にこんな話をすれば笑われるどころか呆れられるかもしれない。けど誰かには話したくって…と続けた。
タケノコ(ネマガリタケ)とミズ(ウワバミソウ)を採りに山に入ったのだが、その日はなぜかいつも敬遠していた沢を越えてしまったそうである。そこから道に迷ったのである。ただ、車は林道に停めているし道の途中で腰に巻いた手拭いを落としてたりと何かに手掛かりはあるはずという確信も手伝い最初はそうも焦りなどはなかったそうだ。ただ夜露をしのげそうな場所位は探したいと少しの範囲は歩いたそうである。すると山の中腹辺りに立派なミズナラの木を見つけたのでその根元の又の箇所に枯葉を敷き、幹に寄りかかりながら、ジッと動かないようにしたそうだ。
体育座りで身体を小さく丸め屈んで目を閉じて入るうちに寝込んだそうである。ふと目が覚めると辺りはもう夜…何時だろうかと腕時計を見ようにも文字盤も見えない程の暗闇であったそうだ。電灯どころかライターすら持ってない。こうなると焦りというよりも呆れて途方に暮れ、項垂れつつ溜息をつこうとした瞬間、ハッ!と息を呑んだそうである。
目先に文字盤を持ってきても見えない暗闇の中、それなのに?自分の脇の視界、地面と思しき所に「足」が見えたのである。心の中で「誰か脇に居る」と驚くが、瞬間、自分でもなぜそう思ったのか直感であろう。声どころか息を殺さねばならない。身動ぎすらしてはいけないと思ったそうで、ひたすらジッとしていたとのこと。ただ今、思えば、その足、裸足だったのか何か履いていたのか? が今になっても思いだせないのが不思議で、ただ分かっていたのは、それは今まで見たことのない大きな足だったのは確かだったと。そして自分はこの後、どうなるのだろうか? という恐怖に、まぶたを固く強く閉じ震えながらも丸くじっとしていて気付いたら朝になっていたそうで、もうそこには大きな足どころか、それらしき足跡もなかったそうである。
陽射しを得て、昨夜の得体の知れないあれは、きっとこんな立派なミズナラの大木に棲む何かかもしれないと思い、遭難した時には動いてはいけないと思いつつも、昨夜のような肝が落ちるような恐ろしいことは御免だと思い、今度は斜面を下り、そうも立派でないブナの根元に腰を下ろすことにしたそうだ。
今日はきっと見つけ出してもらえるだろうという願いは叶わず、夕暮れに染まる山の中、また夜が来ると途方に暮れたそうだ。辺りが闇に包まれてきた頃、怖くて目をじっと閉じていたのだが、やはりまた脇にあの感じが…。組んだ腕に沈めたまま薄ら目を開け脇の隙間から見ると、やはり足が見える(ある)。あのミズナラから移ってもなおこうして現れるのだから、あの樹に居る何かではない。この山を歩く何かだと。その直立しているであろう足が動く。ふとJさん、組んだ腕に埋めた顔を少し上げて隙間を作り、視線を横に上目に流した瞬間、恐怖が全身を包んだのを覚えたそうだ。
そこには今まで見たことのない大きな人らしきものが立っていた。男なのか?女なのか?髪はザンバラで髭なのか長髪なのか? 今思えば日本人でないが外国人でもなく、しかも服装も和装でも洋服でもない今まで見たことのないような出で立ち、そんな何かがすぐ脇に立って、辺りを見渡すように首を動かしていた。片手に何か持ってもいたそうだ。とにもかくにも見たことのないような人みたいな何かが暗闇の中、まるで自分を探しているかのように立っている。その間、生きた心地がせず、自分はこのまま、この得体の知れない者にどこかに連れ去られるのだろうか? そう思った瞬間、恐ろしいやら悲しいやら、本当に泣きそうになったのだが必死に堪えて息と身を潜めるしかなかったそうである。
そして3日目の朝を迎え、何とか命があると分かった安堵の中、山の斜面の上から自分の名前を叫ぶ声が聞こえたのだが、最初は探しにきてくれた人達ではなく、あの男の声なんじゃないだろうかと恐ろしくて、体力はあったのだが答えられなかったと。ただ姿が見えた時に、あぁ人間だ、助かったんだと、ようやく答えられたと。
しかし義母「実はそれは山の神で、最初から話掛けていたら早く助かっていたんでないべか?」と言うとJさん「そんなことはないよ。神様ならあんな恐ろしい背格好してないべさ」と。
義母が退院して私が顔を出した時に「山で遭難したら夜、こんなのが出たら付いていってはならんよ」という心配もあり真剣な顔で私に教えてくれたのであるが、幸いにも山で過ごした夜、一度もお目に掛かっていないのでこうして日々を暮らせているのであろう…。
コメント